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NATO「非五条」任務確立の道程とその意義
旧ユーゴ紛争への対応を通じて

『法学政治学論究』第48号、2001年春季号、1-34頁

要旨
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本稿は、NATOにおける危機管理任務、いわゆる「非五条」任務確立の過程について論じたものである。元来集団防衛のための軍事同盟であったNATOにこのような集団安全保障的な任務を担わせたその根底には、NATO内で培われてきた欧米諸国間の軍事的な統合性を維持し、安全保障の再国家化を防止するという目標が意識されていたというのが本稿の視点である。

NATO各国は戦後50年に亘り防衛力整備を一体として行ってきたが故に、既に各国の軍はNATO軍の一部分としての意味合いを強くし、各国独力の大規模軍事活動は困難となった結果、NATO内に一種の不戦共同体を形成している。従って、危機管理任務や平和維持活動に際し、NATO各国が独自に活動し、あるいは能力を個別に整備した場合、この不戦共同体は危機に瀕することとなる。また、NATO各国への直接攻撃に該当しない新たなリスクへの対応では、各国間の地政学的状況の相違などにより脅威認識に差が生じ、結果として安全保障問題の再国家化が進展しかねない。このように、危機管理や平和維持といった新たな課題への対応が必要となった状況に際し、これらをNATOの枠組み内で「非五条」任務として確立したことは、安全保障面での統合の不可逆性を維持するとの意義を有しているのである。

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ユーゴ紛争に対応する中で、欧州諸国は、模索を繰り返しながら、最終的にNATOという、それまで専ら集団防衛を主任務としていた機構を利用するという結論に到達した。九二年一二月のブリュッセルNATO外相理における国連PKO支援の決定、九三年六月のアテネNATO外相理でのNATO改革の決定、PSO任務履行のためのドクトリンの策定などにより、NATOは徐々にその態勢を整えていった。その後、NATOはサラエヴォ市場砲撃事件などを経て次第に積極的な役割を担うこととなり、その過程でさらなる米仏接近、国連との間での「二重鍵」問題の解決により、デイトン合意の獲得にまで至った。

 その結果、NATOは九一年に採択されたローマ新戦略概念に比し明確に欧州・大西洋地域における地域的安全保障という役割を打ち出したワシントン戦略概念を九九年に採択するに至った。また、CJTF概念の実現とコマンド・ストラクチャー改革や、PFP枠組みの形成によって、軍事面でのPSO任務履行体制やヴァンクーバーからウラジオストックまでの協力体制を整えた。

 しかし、NATOによるPSO任務受容という現実が持つ含意は、単にNATOがPKO等を行うようになったというだけのことではない。冷戦後の「最もあり得べき任務」であるが、同時に各加盟国にとっての必ずしも同等の安全保障上の懸念とは認識されない可能性のあるこの種の任務を受容することにより、NATOの連帯にディレンマを投げかけることになったという側面もある。だが、統合軍事機構を有するNATOとして非五条任務の受容を行わなければ、各国の防衛の「再国家化」を招き、NATOの連帯に対する一層の不安定化を招いたであろうとともに、営々と築き上げてきたNATO域内の「不戦共同体」をも危険に曝したであろう。

 NATOは、冷戦後の新たな安全保障上の課題に直面し、変容した。しかしながら、それは同時に変わらないために変わったとも言える。「変わらない」というのはNATOの機構としての生き残りなどと言ったような狭量なものではなく、欧州・大西洋地域における安全保障上の統合の不可逆性を維持するという非常に重要なインプリケーションを持つものであったことを決して見落としてはならないであろう。(939文字)

論文細目次

一.序論
二.二つの戦略概念:ローマからワシントンへ、NATOへの新任務付与
 (一).継続と変化:両戦略概念全般
 〔二〕.継続と変化:同盟の主要な目的
 (三).戦略文書中に現れた地域的安全保障機構としてのNATO
三.NATOへの新任務付与プロセスとしての旧ユーゴ紛争
 (一).四つの時代区分
 (二).欧州諸機構併存の中からNATO登場へ:九二年
 (三).NATOによる強硬な解決策へ:九三−九五年
四.NATOの変容へ
 (一).軍事ドクトリン改訂の経過
 (二).軍事能力・態勢面での対応
 (三).新任務受容のインプリケーション
五.結論

created on 7 Jun. 2001

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