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欧州統合過程におけるベネルックス3国の外交
 フーシェ・プラン交渉を中心にして

法学政治学論究、第27号、1995年冬季、555-590頁

論文細目次
一 序論
二 フーシェ・プラン交渉の概略
(一)パリおよびボンEEC首脳会談とベネルックス協調形成の試み
(二)第一次フーシェ・プラン、英国加盟交渉と「ベルギーの寝返り」
(三) 第二次フーシェ・プランとフランスの孤立
(四) フーシェ・プラン交渉の頓挫
(五) 交渉再開への努力
(六) グランド・デザイン、エリゼ条約、スパーク・プラン
三 ベルギーとオランダの協調の構造
(一)推移
(二)要因
(三)協調の構造についての仮説
(四)スパークの政策目標
(五) ルンスの政策目標
四 結論

論文要旨

 ベネルックス三国は、一般に欧州統合の推進に熱心なことで知られている。従来このことは、三国が、通商に依存する経済構造ゆえに、より大きな市場を確保する必要があること、隣接する大国間の戦場となってきた小国であるために、欧州域内の大国の発言権を抑制する必要があること、あるいは、民主的性格の強い超国家的な欧州の建設を推進する立場等から説明されてきた。

 フーシェ・プラン交渉は、欧州を代表する大国に対する小国の拒否権行使という、ベネルックスの外交の最も華々しい局面の一つである。この交渉は、フランス大統領ド・ゴールのイニシアチブにより、六一年二月十日のパリEEC首脳会談ではじめて公式に提案され、六二年四月十七日のパリEEC外相会談でのベルギーとオランダの拒否権行使によって決裂した。

 従来、この両国の拒否権について、抵抗的なものとする見方が支配的であった。しかし、本論は、この交渉過程におけるベルギー外相スパーク、オランダ外相ルンスの発言を分析し、そこで展開された様々な主張を整理することによって、両外相がこの交渉を通じて達成しようとした目標を検討した。両外相のこの交渉に臨む姿勢は建設的なものであったことを明らかにした。

 結果として、フーシェ・プラン交渉におけるベルギーとオランダの協調は、その政策面での一致の上に成り立つものではなかったことが理解できた。両国は、大西洋同盟の枠組みの維持についてこそ一致していたものの、それ以外の部分では政策のバーターが行われた。オランダはベルギーの望んだような政治連合交渉の再発進を承諾し、ベルギーはオランダの望んだイギリスの欧州政治統合過程への参加を主張することに合意した。

 本論は一次資料に依拠したものである。使用した主な一次資料は、以下の通りである。

Paul-F.Smets, La pensee europeenne et atlantique de Paul-Henri Spaak, 1942-1972, Texts reunis et presentes par P.F. Smets, Bruxelles, 1980, vol.2.
Western European Union Assembly, General Affairs Committee, A Retrospective View of the Political Year in Europe 1961, Paris, March 1962.
Department of State of the United States of America, Foreign Relations of the United States 1961-1963, XIII(Canada and the Western Europe),Washington, 1994.

created on 27 feb. 2000
last modified: le 27 fev. 2000

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